中国はSLの夢の宝庫だ。真赤な太陽が日本の26倍、960万平方キロという広大な中国大陸を照らす時、8000台余の蒸気機関車が、天空に、大地に、青白い息を吐き出し、まばゆいばかりの真紅な動輪を疾駆させて、キラ星のように様々な表情でひた走る。その表情を追って撮影隊のキャメラも走った。SLのほんとうの臭いをおさめようとキャメラは走った。昭和元年11月、中国東北地区(旧満州)に、当時の日本鉄道技術の粋を結集させた超特急「あじあ号」が誕生した。豪華な展望車をしつらえた「あじあ号」は、昭和恐慌で打ちひしがれた人々の夢をになって、国際列車として中国大陸を突っ走った弾丸列車だった。その「あじあ号」を崇引したのが、蒸気機関車として世界最高スピードを誇る「パシナ」だ。動輪の直径2m、全高4.8m、全幅3.2m、全長25.7m、総重量202トンの巨体。新幹線を思わせる美しい鋼鉄の曲線をもった貴公子「パシナ」。不幸にも誕生と同時に、日中戦争から第二次世界大戦と動乱の時期をむかえ、終戦と同時に数奇な運命に弄ばれたパシナは、その華麗な雄姿を二度と私たちの前に見せることはなかった。構想三年、幻の彼方から夢の「あじあ号」を、「パシナ」を探し求める画期的な作業が始まった。撮影隊のために、わざわざ専用列車をしつらえるという中国鉄道部始まって以来の全面協力を得て、全中国鉄路延べ5万キロのうち半分の2万5千キロを走破、万里の長城の最西端「嘉峪関」から最東端「山海関」を横断、南は「桂林」から北は「哈爾浜」までを縦走、石灰にまみれ、零下22度、息が髪に真白に氷つく中、撮影は着々と貫行されていった。そしてついに「パシナ」は私たちの前に幻のベールを脱いだのだ。 大露天掘りの撫順炭鉱にキリマンジャロを見、中国を代表する機関車「毛沢東号」「周恩来号」(以上ディーゼル機関車)を収め、とくにSLの王者「朱徳号」では、朱徳生誕九五周年の、まさに十二月一日の誕生日に記念すべき撮影に成功大同の蒸気機関車工場では、SL誕生の決定的な感動の瞬間を捕えた。世界最初のSL、「弁慶」「義経」「しずか」等、日本SL史上の草分け的存在のSLも含めたこのドキュメンタリーはSLの全てを網羅しているといっても過言でない貴重なフィルムである。(C)東映