関東同盟理事長・大石剛介と関西中島組組長・佐倉一誠の両者間には表向き平穏無事な日々が続いていたが、日本政財界最大の黒幕と称され、大石のフィクサーとも目される大山喜久夫がガンに倒れたことにより、両者には再び不穏な空気が漂い始めた。サイパン島開発という国家的な大事業に目をつけた大石は、大山を後楯に保守党中久保派に働きかけた。これを平山派幹事長から伝え聞いた佐倉は大いに動揺する。というのもこの大事業は、5年間1千億円の大プロジェクトであり、加えてカジノによる莫大な収益は想像を絶するものだったからだ。その利権を勝ち取るため、大石と佐倉の当面の問題は資金調達にあった。そんな中、中島組の好戦的な若衆・川西は、不動産を持つ松原産業から50億円もの手形を横領する。一方、大石はアメリカへ働きかけるため、アメリカ議員の抱き込みを画策する。遂には、大石と佐倉の水面下の争いがサイパン島での殺傷・強奪事件までに発展し、地検特捜部までもが、捜査活動を開始し始める。さらには、2者の動きを牽制する大山は、老獪ともとも言える巧妙な工作により、先ず大石を追い落とした。そして、川西を抱き込んだことにより、佐倉は大山との最終対決を期する。やがて、中久保内閣は総辞職し、平山内閣が発足。佐倉が中島組を結成して30年、日本制圧に燃えた野望は、500人にのぼる組員の犠牲によって、遂に全国制覇が完結するかに見えたが…。