1945年8月15日ポツダム宣言を受諾し、日本は連合国の占領下となった。4年前の12月8日、威風堂々と開戦の演説をした、時の内閣総理大臣・東條英機は既に解任され、来るべく日を予期して残された時間を家族と静かに暮らしていた。一方、日本の軍国主義を徹底的に糾弾すべく、国際軍事裁判の準備は着々と進んでいた。そして、遂にA級戦犯の筆頭に挙げられた東條に出頭命令が下った。逮捕当日自決を図るが未遂に終わり、東條は巣鴨プリズンに収監される。極刑を覚悟している東條にとって、裁判は無意味なものと思えたが、独立国家としての主権すらも否定し、戦争の原因全てを敗戦国に負わせようとする連合国の意図を知ると、東條は戦い抜く覚悟を決める。苦悩しながらも日本の真実を伝えるべく独房で一人口述書を書き続ける東條、その執念を支えたのは死をもってしても人間から奪えないもの…「誇り」だった。1946年5月3日、東京裁判は開廷。11ヵ国で構成され意見対立を内包する判事団、国家戦略を胸に戦犯を追求する検事団、国際法に基づき懸命の論壇を張る弁護団、そして戦前・戦中の歴史の舞台に登場した錚々たる証人達…それぞれの思惑がぶつかり合い、法廷は、15年間にわたる戦火の再現の様を呈していく。そして、遂に東條が証言台に立つ運命の日。それは、人間の誇りと尊厳と真実を賭けた東條英機最後の戦場となった―(C)東映